江戸時代の「機巧」復元と継続技術教育用教材としての意義
Restoration of“mechanism-art”from the Edo period of Japan and its utility as a teaching material for continuing education
職業能力開発総合大学校 能力開発研究センター 堤 一郎
日本の江戸時代は技術面からみれば注目すべき時代である。それは数多くの専門技術書や技術啓蒙書が刊行されたからであり,例えば宮崎安貞の『農業全書』(1697年),寺島良安の『倭漢三才図会』(1713年),上垣守国の『養蚕秘録』(1803年)などがその代表的なものである。これらの技術書の中には機械技術的に興味深いものも含まれ,最も著名なのは細川半蔵頼直により著された『機巧図彙』(1796年)である。同書には和時計が四種類,機巧(からくり)が九種類掲載されている。
これら九種類の機巧の中から筆者は「龍門瀧」に注目し,卒業研究テーマとして設計・制作を行い同書記載の内容を実践的に検証するとともに,教育訓練用教材としての開発も検討した。もう一つは継続教育の視点に立った技術教育への技術史の導入である。技術史は学生たちに技術への関心を呼び起こす最適な入門コースであるとともに継続教育へのスタートでもあり,期待できる教育訓練効果をもたらすことが筆者の経験からもわかっている。
次に,江戸時代に刊行された機械技術書について述べてみたい。
日本の江戸時代は1603年から1867年までの264年間である。この時代は一般に江戸時代前期・中期・後期の三つに分けられるが,機械技術面からは江戸時代中期が注目される。それは,さまざまな仕掛けを持つ機械装置の設計と制作法を記載した技術書が刊行されたからである。この機械技術書の一つは『機訓蒙鑑草』であり,もう一つが『機巧図彙』である。前者は1730年の刊行で松・竹・梅の三巻からなり,松には二十七種類の機巧が図で紹介され,竹と梅ではそれぞれの機巧制作法が解説されている。同書の著者は,多賀谷環中仙(京都在住の漢方医)・川枝豊信(京大和絵師)・岡村平兵衛(京板木師)の三人だが,編集の主役を務めたのは多賀谷環中仙と思われる。また,彼は数学が得意だったともいわれている1)。しかし『機訓蒙鑑草』に記載される機巧のほとんどは実現不可能なものが多く,科学的な仕掛けであるとはいえない。
一方,後者は江戸幕府天文方(この時は寛政の改暦を担当する部局)の役職にあった細川半蔵頼直(1730?〜1796?:図1)により著され,1796年に出版された書物である。
『機巧図彙』は首巻・上巻・下巻の三巻からなり,首巻には四種類の和時計が,上巻には三種類の,そして下巻には六種類の機巧とその設計・制作法が詳しく記載されている。これらの機巧はいずれも機械仕掛けで,その設計・制作法は現代人の眼で見ても実に科学的である。ここで重要なことは,同書の記載内容(部品の形状と寸法も記載されている)をもとに,現代の技術により時計や機巧を再現することが十分可能ということである。
江戸時代は最新の科学知識や技術は幕府の政策により最高機密とされ,特定の人以外は知ることができなかった。これらの内容は「秘伝書」としてまとめられ,限られた人にのみ伝えられた。こうした時代に,江戸幕府天文方の役職にあった細川半蔵頼直が,当時の最新技術を網羅した『機巧図彙』を技術書として出版したことは実に驚くべきことである。ここで注目すべきは,同書の刊行と彼の没年(没年は不明確だが1796年とされる)とが同じことである。公開が禁じられていた最新技術を技術書として出版した理由で捕えられ,死罪となった可能性も十分に考えられる。こうした身の危険をも顧みず,当時の最新技術をあえて技術書として出版したことは,後世に対して大変重要な意味を持ち,細川半蔵頼直のなした偉業といえる。
なお,高知県立歴史民俗資料館には,同県南国市出身の細川半蔵頼直の手によるとされる機巧「茶運人形」が一体展示されている(図2)。
ここで述べる機巧は何らかの機構(メカニズム)を持ち,動力によって動く仕掛けを指す。日本の歴史を紐解けば,すでに1110年頃に刊行された『今昔物語集』に「桓武天皇の皇子高陽親王は,物の細工に非常に長けている」という記事があり,これが機巧の製作に相当するといわれている。また室町時代(1392〜1573)には社寺などの参詣人の興にそえるため,仕掛け人形が使われたという記述もみられる1)。このように機巧は長い歴史を持っており,日本の文化の中に定着してきたといえる。
まずは『機巧図彙』に記載される機巧について,その概要を記しておきたい。前述のように同書は首巻・上巻・下巻の三巻で構成され,四種類の和時計と九種類の機巧が掲載されている。和時計とは機械仕掛けの時計のことで,1549年にイエズス会修道士フランシスコ・ザビエルが鹿児島にやってきたときに持参したものが最初といわれている。和時計と機巧の関係で重要なことは,和時計の機構が機巧のそれにそのまま応用されていることである。和時計の動力源は重力を利用した錘の鉛直移動だが,機巧には錘に加えて砂や水銀,ぜんまいなども使われている。これらの機巧はいずれも大がかりなものではなく,大店の主人が大切な客を接待するため茶室で使われた茶運人形や,舞台上で興行として演じられる台付き機巧などである。
首巻の和時計は掛時計・櫓時計・枕時計・尺時計の四つ,上巻の機巧は茶運人形・五段返・連理返の三つ,そして下巻の機巧は龍門瀧・鼓笛児童・揺盃・闘鶏・魚釣人形・品玉人形の六つである。和時計の一例として櫓時計(図3),機巧の事例として茶運人形(図4)と龍門瀧(図5)を示す2)。
図3に示す櫓時計の動力源は重力で,先端に錘を取り付けた紐の鉛直移動が巻胴を回し,この回転運動が歯車を介して時計の針を回転させる。この時,巻胴が急に回らないよう「制御」する必要があり,このため「天符と脱進機」の組合せが必要になる。天符の垂直軸周りの回転揺動運動が脱進機の歯を一こまずつ移動させる役割を果たしているため,巻胴が錘により急に回らず一定間隔で間欠的に回るのである。天符の腕につけた小錘の質量と取り付け位置により,天符の回転周期が変わることが知られている。日本国内ではこの仕掛けが,1960年代まで製造されていた機械式時計の機構として長く使われてきた。
図4に示す「茶運人形」は日本を代表する機巧の傑作であり,近年は安価な量産品も登場している。和時計の機構を取入れながらも動力源にぜんまいを使った巧みな部品配置に,日本伝統工芸品の一つである人形(頭と衣装)制作技能を組み合わせた見事な美術工芸品といえる。機構内部のぜんまいは金属製ではなく,鯨のひれ(髭と呼ばれる)と同書には記載されている。
図5の「龍門瀧」は中国の伝説をもとに構成されたもので,上級官僚(龍)を目指す男子(鯉)の立身出世をテーマにしている。これまで筆者は,同書に記載される和時計や機巧をいくつか製作してきたが,ここでは再現した「龍門瀧」について,設計・制作過程を述べよう。
数ある機巧の中から「龍門瀧」を選んだ理由は,この機巧が日本国内において現物が発見されていないこと,『機巧図彙』の記述どおりに制作した場合,実際にこの機巧を再現できるかどうか実証したいことの二つであった。龍門瀧の内部構造(図6)には,動力源のぜんまいと制御を司る「天符と脱進機」が見えている。鯉は紐に固定の磁石に吸引されたまま瀧壺からその源に登り,登りつめると龍を固定しているトリガーバーに当たりこれを外す。龍はコイル状に巻かれた細い竹とその周りに巻かれた絹布とでベローズ(提灯)状に仕上げられ,あらかじめ圧縮されているためトリガーバーが外れるとその復元力で(びっくり箱の蛇のように)上方に飛び出すのである。雲は前もってたばこの煙を小箱に入れ,龍の出現とともに小箱の蓋を開けるように記されている。
「龍門瀧」の設計を始めるにあたり,これらの記述を事前に機械工学的視点から検討し,簡単な予備実験を行った。内部機構本体と龍が飛び出す仕掛けに問題はなかったが,雲を出現させる仕掛けは難しく,何度実験しても外からかなり強い風を送らない限り,小箱から多量の煙は出てこなかった。さらに,ぜんまいに使う鯨のひれ(髭)が手に入らなかったこと,これを金属製ぜんまいに置き換えても万一の急激な戻りが危険を伴うため,設計変更を行った。すなわち,動力源をぜんまいの復元力から錘の鉛直移動により巻胴を回転させる機構にし,龍と雲を一体化して台上に載せこれを釣合錘と組合わせ,トリガーバーが外れた際に案内棒に沿って垂直上方に飛び出す機構にしたことである。また,鯉を磁石に吸引させたまま龍を飛び出させるトリガーバーを外すのは機構上無理があり,鯉を紐に固定してこの問題を解決した。
設計上難しかったのは「天符と脱進機」の最適設計値を求めることであった。このため,図7に示す簡単な実験装置を試作し,天符腕の小錘質量,巻胴を回す大錘質量,脱進機直径と歯のピッチを変えながらデータをとった。これらの実験結果から天符腕長さ100mm・小錘質量20g,脱進機直径60mm・歯のピッチ20,巻胴駆動用大錘質量1.5kgを「龍門瀧」の設計値の基準に選び,設計図を作成した3)4)。
制作にあたり使用材料は木材を主体に,加工した部材の形状・寸法を確認しながら慎重に組み立てた。また,摺動部には潤滑を施すことにした。これらの作業が終わった後に,別途制作しておいた鯉,龍と雲,岩,木立そして瀧を流れる水(伸縮性ある布製包帯を使用)を取り付け,全体のバランスを考えて彩色を施し完成させた。機構部分の長さ380mm,幅280mm,高さ380mmとなっている。2004年8月、高知県立歴史民俗資料館で開催された技術史教育学会2004年度サマーセミナーで公開展示されたこの「龍門瀧」を図8に示す4)5)。なお、この機巧は初作に手を加えて改良したものである。
「龍門瀧」の設計・制作から得られた技術教育上の効果を,次にまとめてみよう4)5)。
(1) 学生自らが,設計・制作の全過程に取り組んだこと
卒業研究の学生が「龍門瀧」の再現に必要な企画・立案から設計・制作に至るすべての過程を討議しながら進め,何度か失敗を繰り返しながらも自らの力で再現させたことに,教育上の効果が認められる。
(2) 技術史的視点の導入が,卒業研究の積極的取り組みにつながったこと
筆者のこれまでの経験では,技術教育を行う際に技術史を導入しながら教育を行うことにより,学生の興味と関心が高まりその後の積極的活動につながる場合が多かった。技術史を導入する意味は二つあり,その一つは現在に至る技術発達の過程とそのポテンシャルの遷移を知ること,もう一つは将来のために技術をどのように最適に組合せ,新しい技術展開に適用するかを考えるということである。前者は史実としての知識習得だが後者は創造活動で,ここに継続教育との大切な接点を見いだせる。すなわち,新しい技術展開のためには常に歴史を意識し,過去の事例を学びながら時代的な環境を考慮し,新たな創造活動を進めるということである。
学生たちは技術史的視点から,現代のロボットや自動機械との関連性を機巧を通して学び,内部機構の観察においても現在使用される機構や機械要素との共通点を見出し,設計・制作する機巧に親しみを覚えそれを自らの積極的な活動展開につなげていった。
(3) 簡単な実験装置の試作が大きな効果をあげた
機械式時計が家庭内に存在しない現代の学生に,制御装置である「天符と脱進機」の組合せを説明し理解させることは結構難しかった。そこで簡単な実験装置を設計・試作させ,これを使ってデータを取りながら制御装置の機能や特性を学ばせるよう工夫した。こうした簡単な実験装置が思わぬ教育効果をもたらし,学生自らが進んで実験に取り組んだ。
(4) 「龍門瀧」の完成と『機巧図彙』記載内容の実証から
「龍門瀧」は再現でき,記載内容の実証もかなりのところまではできた。一方,鯨のひれ(髭)をぜんまいに使った場合,その材料特性が非線形粘弾性であるため金属製ぜんまいのような線形応答は期待できない。また鯨は国際捕鯨協定により捕獲数が制限されているため,ひれ(髭)の入手は困難であった。それゆえ,鯨のひれ(髭)に近い材料特性を持つ複合材料開発が,新たな興味深い研究テーマとなった。今後はこの面での研究展開が期待できそうである。
総括的な視点から継続技術教育用教材としての「龍門瀧」は学生たちの積極的な努力により見事に復元でき,卒業研究の成果として十分な教育効果が得られたことに大きな意義を見出せる。そして彼らには技術史の大切さを教えることができ,将来に向けた継続教育への接点も提供できた。技術者として社会で活躍する彼らに,歴史性の意識と技術教育への継続性を大いに期待したい。
卒業研究のテーマとして,江戸時代の機械技術書『機巧図彙』に記載される「龍門瀧」の再現を取り上げ,あわせて記載内容の検証も行い,技術教育上の意義と継続教育に向けた可能性が十分に認められた。現代において社会のニーズを満たす技術展開を行うためには,過去の事例を調べ分析し,その成果を最適に組合わせて積極的に適用することが必要であると考える。先人の創造性が凝縮された技術史には学ぶべき内容が多く,現代の技術者による新たな技術展開はその一ページを形づくることも改めてここに記載したい。それゆえ,次世代を担う学生たちに継続教育を施す際には,歴史の必要性と大切さを常に意識しながら学ばせることが大切であると考える。筆者のこの実践と提案に対し,ご意見をいただければ幸いである。
なお本稿は,2004年5月に東京で開催された第9回技術者継続教育国際会議(9th WCCEE)で発表した講演論文6)をもとに加筆修正を行い,2004年10月の時点で改めて執筆したものである。